2019.08.23
香醇ほうじ茶シフォンケーキ
【 香醇ほうじ茶シフォンケーキが出来るまで Part 1 】
6、7年前に芦北高校の女性の先生から文化祭で販売するスフレを教えてほしいとの連絡がありました。その先生はお菓子作りが大好きで、生地作りから、細部にわたって興味津々で(笑)仕事じゃない時もフジヤに来て作る過程を見たり、楽しそうに見学や作業する姿を今でも覚えています。
そんな仕事のようで遊びのような関係が続く中、高校生が地元の小学生にクリスマスケーキを作りを教えるっていうことを出来ないか?っていう相談があり、芦北高校へ足を運ぶキッカケとなりました。
その女性の先生と仲良くならなければ、クリスマスシーズンの繁忙期の時期にお菓子作りを教えに行くことはまずなかったでしょう。断ってたと思います。お菓子作りを楽しそうにやる姿。それが芦北高校との関係を築くキッカケになったと思います。
よくあるんです。文章一枚で事務的にお願いに来られることが。慈善事業でやる程、心は広くない。お互いの関係性で楽しむつもりが無ければお金を積まれても、なんの利益も産みません。事業計画や子供達の未来の為に。そんなことで受けたつもりもありません。
自分たちが毎日作ってるお菓子を嬉しそうに、楽しそうに、そして驚いてくれるあの先生の姿があったからこそ芦北高校との関わりが生まれました。対、人。それしかお互いが気持ちよく進める事業は生まれません。たった一人の女性の先生が喜び楽しみ、そしてお菓子屋を、お菓子職人を尊厳したからこそ、ここまで繋がる事業になったのです。お菓子が出来たこと、販売出来る結果よりも楽しみをみつけて子供達に教えたい、そんな姿があったことを、先生がまず楽しみをみつけて自らの仕事を楽しみに変えた。
ここまで諸々な事が進んできたのは大人たちが楽しみをみつけて“宿題”ではない、先の見えない宿題じゃなく自らの楽しみの先にあることをまずやったから。
そんな原点を思い出しました
【 香醇ほうじ茶シフォンケーキが出来るまで Part 2 】
毎年12月にお菓子づくりを教える取り組みからもう7年の月日が経っていて、小学生だった子供達が芦北高校に入学するような、そんな月日が経っていて。その間に試作したパウンドケーキを食べさせてもらったりしながら関係性を作ってきました。
一昨年から地元芦北でお茶づくりをされてる梶原さんご夫婦とティーコーディネーターの大塚佳寿子さんに和紅茶も一緒飲んでお菓子を食べてもらう。そんなブラッシュアップした取り組みになって、地元でお茶を作り生産している梶原さんと芦北高校との繋がりのきっかけになっていきました。そして生徒さん何人かで始めたほうじ茶を使ったシフォンケーキ & ほうじ茶の研究。それが県大会に出て、全国大会まで到達する取り組みになり、結果は素晴らしいものになりました。
地元のあるもの探し。足元を調べたら素晴らしい人財と資源がそこにはあった。地元学。ここまではよくあるお話です。
担当する宮嵜 正浩先生とずっと話してきたのはもちろん足元を知るってことなんですが、商い的思考で学校も考えて欲しい。そこをずっと話してきたつもりなんです。学校側が良かれと思う事。地域を支える生産、加工、販売を担う事業所。そこに対してお互いの利益になるように。有形、無形。色々な形があります。元々先生は地域に還元する。って事を実践したい、そうおっしゃってました。
そんな経緯でほうじ茶のシフォンケーキは生徒が考え、研究し、足元にある資源を活用し、生産者に儲けてもらいたい、シフォンケーキをずっと残る形で販売したい。そんな想いになっていったんですね。
よく、大学生から大手企業がアイディアを得る。買う。そんな事をやっていますけど、水俣、芦北は大学がありません。でも、高校があるんです。アイディアや発想する、創造する頭は想像以上のものがあります。ある資源を、ある人財を、そして商い的廻らせ方で。硬い頭を持ってる自分達大人はアイディアを買えば良いんです。子供達の夢を。有形、無形の形で叶える事でその願いは叶って行くんですね。
公務員的思考を外せば。学校をどう運営、経営する視点で物事を見ていけば、きっと僕ら事業所とうまくマッチングできる。そんな事が叶った取り組みになったと思います。
次は最終章です。
【 香醇ほうじ茶シフォンケーキが出来るまで Part 3 最終章 】
芦北高校とお菓子づくりを通して地元の生産者との繋がりやお菓子を食べてお茶も楽しむ。そんな楽しみまで含めた繋がりが生まれたと思っています。残るは最終出口。作り上げたものをどこでどう売るか?
部活動的に進めてた事業は学校では利益に、儲けることができません。活動費がどうしても捻出出来ない仕組みなんですね。研究、開発は公的場所で。商い、出口は民間事業所で。それは先生と自分と同じ思いだったんですね。先生は創ったものを後に残るモノづくりにしたかった、卒業してもどこかで売られてる、その商品に出会える、そんな事を考えて。
みなまるとしては創ったモノを売って少しでも研究、開発費を捻出したい。そうなるとモンブランフジヤがそのシフォンケーキを販売し、一部を活動費に捻出する。双方が得するやり方に最終的に落ち着きました。
公的機関であれ、民間の事業所であれ、お互いがメリットや利益が生まれないと断続した事業にはならないのです。生徒たちは地元生産者さんにも儲けてもらいたい。そんな事を言ってました。そうなるには自分達がお茶を買って商品にし、売る。そこが大事なんですね。
でも、先生も生徒も梶原さんもそして自分も儲けるのが初動であったわけではありません。結果的にこうなった。それはみんなボランティアでした。わかりやすく言えば。儲けから始まった事業ではないのです。それぞれがそれぞれでの関係性がこのほうじ茶のシフォンケーキに結びついたのです。
こんなにも地元でこだわって、そして今でもお茶をより良くしていく梶原さんの姿、生徒たちも何も感じない訳がありません。奥様もここまでくるのに、支えるのに大変な苦労があった事だろうと思います。
この1枚目の写真に、笑顔にやってきた夢の代償が見え隠れしている。ここまで廻らせる関係になるには長い長い年月が必要です。そしてその笑顔を見つけるのは何も知らない無垢な子供たちの力が必要です。その笑顔の先あるものを僕たちはこれからも探し続け見つけて行きたいと思います。
文/笹原 和明